2008/12/24

Kicho_xmas98 新OS発表の噂があるのは、来年1月!

2008-12-24 | Project Palm 直接リンク | コメント (0)

2008/12/23

Kicho_000407_final Palm Computing社の創業1992年の2。

2008-12-23 | Project Palm 直接リンク | コメント (0)

2008/12/22

Kicho_pastel 3COMの3!

2008-12-22 | Project Palm 直接リンク | コメント (0)

2008/12/21

Kicho_sepia 初期Palmのアプリボタンは4個!

2008-12-21 | Project Palm 直接リンク | コメント (0)

2008/12/20

Kicho_mono_2 Palm Vの5!

2008-12-20 | Project Palm 直接リンク | コメント (0)

2006/04/02

PPとPMの話。

Imgp0338 このサイトの名称にもなっている、幻のテキスト「プロジェクトパーム(Project Palm)」については、大いなるご期待をいただいたり、時にはご心配をおかけしたり、また時には呆れられたりしていることは承知している。

 具体的な事情については、下記ページを参照して貰うとして、

■Project Palm大作戦(Project Palm)

 そんなこのページが書かれてからも、1年半ほどの歳月がたった今、最新情報についても書いておく。

 2004年当時、是非ともこのテキストを読みたい!という皆さんからのメールをいただき、それを武器に、編集者の全面協力のもと、いくつかの出版社との交渉を進めた。こちらから売り込んだ会社はもちろん、アンケートをきっかけに「うちの会社の上司を口説いてみる!」とか「良好なパートナー企業をご紹介します!」と言ったお言葉をいただき、こちらでは想定していなかった企業など、複数の企業との交渉を続けたものの、およそ1年後、そのすべての未来が途絶えた。

 その間にも、Palm本を出す環境としては、ますます逆風吹きすさぶ時代を迎えていた。もがけばもがくほど前には進めない状況の果てに、この本のために無償のご協力をいただいた皆さんのためにも何とか紙の出版物として公開したいという私の夢は、目の前に見えるすべての手段を失った。交渉した会社の数は両手の指に達しようとしていた。それが2005年夏のことだった。

 まさに、このテキストは「時」を失った。

 とくに、前述の「Project Palm大作戦」にも書いたように、このテキスト「プロジェクトパーム」は、複雑な状況を背負っている。まずは、第一稿の執筆中の2001年に当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったPalm文化そのものが大失速を始め、第一稿が完成した2002年にはハンドスプリング社に続いてパーム社までが日本から撤退した。さらに、私も監修に絡んだとは言え、米国執筆者による同類本「シンプリーパーム」が日本でも出版され、第二稿がまさに完成しようとしている2003年6月、今度は米国Handspring社がPalm社(当時はpalmOne社)に吸収合併された。そして「Project Palm大作戦」後にも、激震は続いた。2005年2月にはソニー社がCLIEから撤退、同年5月には社名をPalm社に戻すと同時にJeff派のEd Coliganが正式CEOに就任、同年9月にはMicrosoft社との提携を発表、翌1月にはWindows Mobile搭載のTreoをリリースした。そんな激しく移り変わる時代に翻弄されるように、テキスト第三稿の最終章はその辿り着くべき未来を失い、結果として日本で出版するための理由をどんどん失っていった。

 そんな2005年秋、このさまよえるテキストの未来に一条の光が舞い降りた。

■Palm Source社が日系企業に買収された!(Project Palm)

 2005年9月、Palm OSの開発企業であるPalm Source社は日本の携帯ソフト企業ACCESS社に買収されたのだ。その結果、日本でもPalmOSあるいはそのDNAを受け継いだOSを搭載したスマートフォンや新世代型携帯電話が登場するかもしないという可能性など、日本のPalmに関する、いくつかの未来が見えてきた。

 そうした流れを受けて、アスキー社からすでに休刊になっていた「Palm Magazine」の特別号(永久保存版)の出版が決まり、そのコンテンツとして、「プロジェクトパーム」の部分抜粋を載せて欲しいという依頼が届いた。そして、先日、そんな「Palm Magazine永久保存版」がついに出版された。かつて「Palm Magazine Vol.15」では、山田達司篇の一部を抜粋したが、今回はPalmOS日本語版開発のアメリカ側のキーマンであるロブ灰谷の話など、同日本語版が完成していく黎明期の話を一部抜粋した。

 さらに、「Palm Magazine永久保存版」の流れを受けるように、新たな希望の光も見えつつある。具体的には、電子出版での公開を模索中だ。ただし、実を言うとまだまだ未来は決して薔薇色とは言えない。さまざまな障害が私の前には待っている。

 でも、もう闇夜ではない。いつ明けるとも知れない暗闇ではない。夜明けは確実に近づいているように見える。そう信じる2006年春だ。Palmの誕生からちょうど10年、私がPalmと出会ってから9年、パーム航空の閉鎖から6年、Project Palmの執筆開始から5年が経った。さらに、第一稿の完成から4年、第二稿の完成から3年、ProjectPalm大作戦のアンケートからでも2年の月日が経ってしまった。皆さんのご期待を裏切り続けてきたこの数年間が、ただただ心苦しい。

■Palm Magazine永久保存版(アスキームック)
■Palm Magazine 永久保存版 アスキームック(Amazon.co.jp)

 ところで、「Palm Magazine永久保存版」は、私の書いた「Project Palm特別編〜DNAの中の慕情・PalmOS日本語版への道」云々以前に、あまりにも素敵なコンテンツが揃っているので、是非とも読んで貰いたい!

 PalmSource社を買収した話題の企業ACCESS社に、山田達司さんと遠藤諭さんが直接乗り込んで、その幹部たちにインタビューするという最大の注目記事を始め、私の「Project Palm」にも登場する二人のキーマン、現Palm社のロブ灰谷さんや、元Palm Computing社のクレイグ・ウィルさんへのインタビュー、他にも、Palm界の綺羅星のようなスター執筆者たちによる、夢のような記事&コラムが満載で、おまけに特別付録のCD-ROMが2枚もついてくる!豪華な豪華な永久保存版だ。皆さん自身が楽しむために、そして、この種の本がこれからも出版される可能性の光を繋ぐためにも、是非とも買って貰いたい!

 あ、最後に、今日は4月2日なので、エイプリルフールじゃないよ。

2006-04-02 | Project Palm 直接リンク | コメント (0)

2004/11/01

しばらくお待ち下さい

 先月中旬いきなり始まったにもかかわず、「Project Palm大作戦」にはたくさんの応募をいただきました。本当にありがとうございました!昨日深夜をもって、応募を締め切らせて貰いました。

 内容が内容だけに、そうそうたくさん集まるとも思っていなかったのですが、応募数も予想以上なら、その内容も非常に充実したものでした。正直、Project Palm読者おそるべし、という感想を持ちました。現在、担当のフリー編集者とともに、応募メールをもとに、今後の検討や具体的な交渉をすでに始めています。

 内容が内容だけに、すべてのメールについて、まだお返事を書いていません。今後、ある程度話が進んだところで、改めてお礼をさせてもらうつもりですので、応募してくれた皆さん、しばらくお待ち下さい。

 もちろん、応募してくれなくても、このプロジェクトに興味を持ってくれたすべての皆さん(ウェブ等でもたくさん拝見し、大いに勇気づけられました!)、もうしばらくお待ち下さい。

 それまでの繋ぎとして、スパム・レディ最新作でもどうぞ!

PPP/プロジェクト・パーム大作戦

2004-11-01 | Project Palm 直接リンク | コメント (0)

2004/10/20

どしゃ降りの感謝。

 本当にありがとう!みんなありがとう!一昨日そして昨日の記事を文句一つ言わずに読んでくれただけでもありがたいのに、昨日早速、私のメールボックスには沢山のメールが届いていた。

 旧知の人、初めてメールをくれた人など、本当に様々。でも、みんな一生懸命書いてくれている。嬉しい。涙は出なかったけど、叫びたくなった。

 昨夜というよりも本日の未明深夜に私は帰宅した。皆さんからのメールを読みながら、夜の雨空の下で叫びたくなった。〆切は今月末日まで、まだまだ募集中!皆さんからの応募をお待ちしている。

 と、同時に、いくつかのサイトがこの募集イベントについてウェブ上で紹介してくれていることにも気づいた。確認されただけでも5つほど。本当にありがとう!

 嬉しくて嬉しくて、恥を忍んで皆さんに智恵を求めた甲斐があった!

PPP〜プロジェクト・パーム大作戦


※ついでに、200,000アクセス達成!本当に感謝ばっかりだ。情けないけれど、本音だ。ありがとう!

2004-10-20 | Project Palm 直接リンク | コメント (0)

2004/10/19

Project Palm大作戦 その5

 という訳で、前回の続きだ。そしていよいよ最終回だ。

PPP〜プロジェクト・パーム大作戦

 あれから、つまり、「プロジェクト・パーム」にとって最後の出版計画が頓挫してからちょうど1年の歳月がたった。ところで、PalmOSに絡んだ多くの人々の協力なくして、この物語は誕生しなかったはずだ。それもこれも、PalmOSに絡んだこの本を出版することに賛同してくれた彼ら、彼女たちの強い思いが、ここまで私にこの本を書かせてくれたと言える。具体的に、取材や調査などの面で、彼ら、彼女たちから多大な献身をいただいたのも事実だ。だからこそ!私自身のモチベーションを越えて、私にはこの本を何とか世に出さなければならないという義務がある。ところが、2004年初頭から夏までの期間、私は様々なことに忙殺されて、この義務を果たすことが出来ないまま半年ほどの日々を無為に過ごすことになった。その間、私がこの本のために続けていた唯一の作業はたったひとつ。本を出版する時のための出撃基地としてのサイトの運営を継続することだった。

 そして今年の夏、少しばかり時間的余裕が出来た私はまず、自分自身の勇気を振り絞るべく、この半年間温めてきた「あるプラン」を実行に移した。まず、2001年末から2年半近く続けてきたサイト「パルマガ」を活動休止にして、現サイトである「Project Palm」を作った。どんなことをしても、この物語を世に発表するんだ、という最後の情熱を実際に形にしていくための、それが最初のステップだった。すると、その意志を汲んで、やはり多忙だったかつての担当編集者も動いてくれた。今度はフリーランスの編集者として、この本を出版するための方策を探ろうと、足を棒にしていろいろ動き回ってくれた。いくつもの出版社や多数の編集者と会ってくれた。すべては、この物語を本として出版してくれる会社を探すために!本当に一生懸命、編集者は動き回ってくれた。

 ところが!

 2004年秋、我々は、ついに万策尽きた。もはや打つ手を失ってしまった。このままでは、私の物語を出版するための方法はもはや存在しないというスタートラインに、私は再び立ち戻っていた。

 …という訳で、もの凄い長い前フリだったが、ここからが本題だ。

 <本 題>

 私の書いた物語「プロジェクト・パーム」を出版するための方法について、皆さんからお知恵を拝借したい!

 もはや手は尽くした。もちろん、自費で出版するなら、それが<紙の書籍>であるにしろ<電子出版>であるにしろ、今すぐにでも出来る。だから、出版のためのアイデアが見つからなければ、最終的に私はそうした自費出版の道を歩み始めるはずだ。しかし、今回は「最後の悪あがき」をしたいと思う。つまり、とってもわがままなことだけど、自費出版以外の方法を探りたいのだ。実は、<電子出版>(商用)に関してはすでに、某社より好意的なご提案をいただいている。しかし、それでもまだ最後の悪あがきをしてみたいと思ってこの文章を書いている。この物語をより多くの人たちの目に触れて貰うために<紙の書籍>として出版するための方策はもはやないのか、という本当に最後の悪あがきをしたいと思う。

 「こういうアイデアがあるよ」という企画提案でもいい。「うちの会社から出版しませんか?」という具体的アプローチでもいい。とにかく、何かアイデアをわけて下さい。お願いします!

募集!
プロジェクト
パーム大作戦

<応募内容>

「プロジェクト・パーム」という本を<紙の書籍>として出版するためのアイデアや、具体的なご提案を募集します。

<応募方法>

電子メールで、コチラ(機長宛メール)まで!

<〆切>

2004年10月31日24時(日本時間)まで。

<公開/非公開>
 
そもそもが公開を前提とした企画ではありませんが、場合によってはウェブ等でそのメール内容を公開して、さらなる追加意見を求めたくなる場合なども考えられます。そこで!原則として、メール内に「非公開」と書いてくれれば、ウェブ等で黙って発表することはいたしません。ただし、見落とし等のミスが発生することは避けたいので、出来るだけハッキリとわかりやすく書いて下さい。もっとも間違いが少ないのは、Subject欄に【非公開】等の文字を加えることです。

<対価>
 
正直、私から感謝の気持ち以上の対価は、まったくありません。あるとすれば、どんな形にしろ、この本を出版することぐらいです。それでもいいよ、という方のみご協力下さい。

プロジェクト・パーム出版実行委員会
 (お問い合わせはコチラのメールまで!)

PPP〜プロジェクト・パーム大作戦

2004-10-19 | Project Palm 直接リンク | コメント (0)

Project Palm大作戦 その4

 という訳で、前回の続きだ。

PPP

 そして再び執筆作業が開始した。おもな作業は二つ。ひとつは完成稿に向けて新しい体裁に作品全体をリメークすることだった。第一稿ではいわゆる大河物語のように、すべての歴史的事件が同時進行で進んでいく形をとっていたのだが、これはダイナミックであると同時に、問題点としてどうしてもそこには時系列の複雑さが生まれた。そこで、編集者からの提案もあって、PalmOSに関する物語を、数名の人物の人物伝として書き直すことにした。こうすることで読者は、時系列の伏魔殿を快適に進めるようになるはずだ。

 そして、もうひとつの改訂作業の柱となったのは「時代への対応」だった。つまり、第一稿が完成してからすでに1年近い歳月が経過していたため、その間にPalmOSの歴史もかなりの勢いで変化していた。そういった要素を追加して書き加える必要があった。新たな資料を集めながらの作業は、これが意外と大変な作業となった。執筆作業の山場は2003年春から夏の時期だった。あらゆる時間を惜しんで執筆作業を続けたのだが、当時の私は、かつて第一稿を書いていた時よりもハードなスケジュールで動いており、執筆作業は遅れに遅れた。さらに、いくつかの事情を考慮した上で、私は出版目標を当初の予定より3ヶ月ほど遅らせて、2003年秋まで延期した。

 この延期のおかげで、ひとつだけ嬉しいことがあった。そもそも、2002年春に完成した第一稿では、PDAバブルの崩壊を受けたJeff Hawkinsたちが、社運を賭けた次なるプロジェクトとしてPalmOS搭載のスマートフォン「Treo」を発売開始するところで終わっていた。そして今回、第二稿を書くにあたっての悩みのひとつはラストシーンをどうするのか?ということだった。しかし、今回の延期によって、見事な、あまりにも見事なラストシーンが勝手に向こうからやって来てくれた。

 つまり、2003年6月、PalmOSの歴史を大きく変える衝撃的な事件が起こった。そう、長らくその歴史を複雑にねじ曲げてきた矛盾、つまり、1998年7月以来、離ればなれになっていたPalm社とHandspring社という二つの企業が5年ぶりに合併、ひとつになることが発表されたのだ。こうして誕生する新会社palmOne社の誕生は2003年秋だという。それはまさに、延期されたばかりの「プロジェクト・パーム」の出版予定タイミングと一致していた。今回の延期によって、長いPalmOS歴史物語にとって最高のクライマックスが向こうからやって来てくれたのだ。そして私は、2003年秋の出版を目指して、再び狂ったようにキーボードを叩き始めた。

 そして秋が来た。様々な改訂を加え、追加原稿を加えた結果、テキストデータで総計1001KBを越えた原稿が完成した。「プロジェクト・パーム(第二稿)」の完成だ。そして出版!…という予定だった。ところが、残念ながら時代はそんなに甘くなかった。執筆を思いついた2年前には、出版社もあっさりと出版許可をくれたこの本だったが、執筆等が大幅に遅れた結果、その間に時代は大きく変わってしまった。そうして、出版社の方針もまた変わってしまった。その結果、この本を当初予定していた出版社から出版することが出来なくなってしまった。

 上の年表はPalm社〜palmOne社の株価(折れ線グラフ)をベースに、歴史的事項を書き込んだもの。

 まだ覚えている人もいるかもしれないが、2003年の秋、私の前身サイトである「パルマガ」には目新しいリンクが登場し、そこをクリックすると不思議なページへと読者を誘導するようになっていた。そこにはこんな写真が掲載されていた。これは棟上げ式の写真だ。そう、このままこのページの写真は「棟上げ式」から「基礎工事」「工事」と進んで、最終的に「プロジェクト・パーム」出版を発表する予定のティザー広告だった。しかし、2003年晩秋、このページは突然、消えた。そう、すべての計画はいったんリセットされてしまったのだ。


つづく

2004-10-19 | Project Palm 直接リンク | コメント (0)

2004/10/18

Project Palm大作戦 その3

 という訳で、前回の続きだ。

PPP

 2001年夏から2002年春に向けて私は、「プロジェクト・パーム」(当時は別のタイトルを考えていた!)の執筆作業を必死で続けていた。なぜなら、その本の最初の出版予定が2002年春だったからだ。当時「プロジェクト・パーム」はすでに予想外の大作へと成長しつつあった。当時の原稿を見ると、この時点で初稿はプレーンなテキストであるにも関わらず836KBのサイズを費やしていた。これをベースに改訂作業を始めて第二稿を書くためには、第一稿と同じくらいの労力が必要なことが簡単に想像できた。そこで、出版計画は当初の2002年春から大幅に遅れることになった。

 しかも、そんな頃、もう一冊の本である「シンプリー・パーム」の最初の日本語訳テキストの第一稿が次々と仕上がって、私のところに送られてくるようになった。ちょうど2002年の4月末のことだ。これを受けて、訳者のもとからメールで章ごとに送られてくる「シンプリー・パーム」日本語訳の基礎テキストにひとつひとつ手を入れる作業を開始した。一章ごとに作業を進め、全24章の監修作業が終わったのは8月1日のことだった。以降、8月中旬まで同書の関連作業(年表などの整理)を進めた。この「シンプリー・パーム」が出版されたのは2002年10月26日のこと。以降、短期間ではあったが同書は各種ネット書籍ランキングなどで1位やそれに近い順位でランクインするという、小振りながらも幸せなセールスを体験した。

 ところが、ある意味「シンプリー・パーム」は、最後の徒花のような存在になった。アメリカで原書が出た時はともかく、日本で「シンプリー・パーム」が出た時点でもすでに、国内の出版業界では「PalmOS絡みの書籍で、しかも実用書じゃないなんて、売れる訳がない!」という空気が出版界には満ちていた。出版界のみならず、2002年秋と言えば、2001年春から始まったPDAバブル崩壊がすっかり定着しようとしていた時期だった。2001年8月にはすでにハンドスプリング社が日本支社の規模縮小を発表、2002年2月にはIBMが、9月には本家とも言うべきパームコンピューティング社までが日本からの大規模撤退を発表。その中、出版が遅れていた「プロジェクト・パーム」の未来に赤信号が灯り始めていた。

 そこで、「プロジェクト・パーム」を出版するために熱烈なバックアップを続けてくれていた編集者を中心とするチームは、PalmOS関連の書物に関してどんどん冷め始めていた出版社社内の空気を好転させるべく、ひとつの計画を立ち上げた。それが、雑誌「PalmMagazine」の付録に「プロジェクト・パーム」のごく一部をオマケとして同梱する作戦だった。そして2002年秋、「PalmMagazine Vol.15」の付録として、「プロジェクト・パーム」の一部(山田達司さんがJ-OS開発を始めた最初の時期の話)を載せた冊子をつけた。これは大成功だった。これを出したことで、読者から「続きを読みたい!」という熱いリクエストが出版社にも届くようになった。出版予定は翌夏、つまり2003年夏だ。このページにも「来夏予定」という言葉を加えた。


つづく

2004-10-18 | Project Palm 直接リンク | コメント (0)

Project Palm大作戦 その2

 という訳で、前回の続きだ。

PPP

 まずは、少し話を戻して、概要から説明を始めようと思う。なぜなら、この問題について語るのは、本当に久しぶりだから。

 最小限に話を戻すなら、このページから始めるのが好都合だ。

■PP予告編(パルマガ)

「シンプリー・パーム」から2ヶ月、
新たな伝説の書が動き出す!
Coming Soon!
正式公開は来夏予定!

参照●シンプリー・パーム(パルマガ)

 ここに、来夏とあるのは実は2003年夏の予定だった。そういうつもりで告知を打った。だが、現在2004年夏がすっかり終わったというのに、「プロジェクト・パーム」という本は出版されていない。どういうことなのか?それが今回のメインテーマである。出版したかったのに出版できなかった本がある。その本を何とか出版したいという目的でこのサイトは作られ、そして今この文章は書かれている。

 さて、そもそも「プロジェクト・パーム」とは何なのか?

 話は2001年の春にまで遡る。今から3年以上も前の話だ。当時私はある一冊の本の出版を思いつき、とある編集者にアイデアを打ち明けたところ話は途端に盛り上がり、とある出版社からの発刊も決まり、さっそく私はその取材と執筆に取りかかり始めた。2001年夏のことだ。その頃の点描がコレ。この夏、二度ほどシリコンバレーに飛んだ。国内でも当事者に会っての取材を続けた。またネット上の資料を片っ端から集めては日本語に訳したりもしていた。

 2001年は9.11米国同時テロの年として記憶されていると思う。私自身も二度目の渡米の一ヶ月後にこの事件に遭遇して青ざめたものだが、この書籍のプロジェクトのためにはもっと困った事件が起こったのも、この2001年だった。同年春、新型機種の発表の遅れに端を発したPalm社の財政危機は、同年夏に倒産に近い状態まで陥っていた。もっとマクロな視点で語るなら、最後発のIT産業として20世紀末に驚異的な成長ぶりを見せたハンドヘルド産業にもついに世間並みの不況の波が襲いかかってきた。それまでの成長ぶりがあまりにも凄まじかったために、そこからの転落ぶりは凄まじかった。誰もが羨む急成長産業はわずか数週間で、その辺のごくごく普通のIT産業並みにの水準まで落ち込んだ。

 ちょうど私が渡米した頃が、その最初の波が押し寄せている真っ最中だった。その冬に購入したばかりだったPalm社の新社屋ビルを建てる予定の空き地に誇らしげに経っていたPalm社の看板が取り外され、Palm社の玄関では今まさに荷物をまとめて退社していく女性社員の捨てぜりふを聞いた。唯一の例外がHandspring社の社内だった。この会社もPalm社旧転落の影響を受けて当時大変な状況にあったのだが、社内の空気は決して悪くはなかった。なぜならちょうど、同社の未来を決定する商品が発売されようとしていたからだ。まさにその前夜だった。その製品とは「Treo」シリーズ!まさにその後の歴史が証明することになるのだが、Handspring社は世間の空気をPalm社よりも知っていたのだ。

 という訳で、2001年の春には関係者の間で「この本は絶対に売れますよね!」という空気だったのだが、2001年秋になると「この本、大丈夫?」という空気になっていた。それでも私はまだ悲観などしていなかった。ちょうどその頃私は、もう一冊の本に携わることになった。それが「シンプリー・パーム」だった。2001年秋、ソフトバンク社の編集者から「米国で発売されたとある書籍」の日本語版を出したい。ついてはその監修をお願いしたいという話を貰った。その書籍は「米国におけるPalmOSをめぐる歴史」を扱っている。「米国と日本のPalmOSを巡る歴史」を扱うつもりだった「プロジェクト・パーム」と似通っていることは問題だったが、そんなことよりもPalmOSに関する書籍がまだまだ出版されようとしているという空気だけでも悪くなかった。


つづく

2004-10-18 | Project Palm 直接リンク | コメント (0)

Project Palm大作戦 その1

PPP

 さて、このサイトはそもそも何の目的で作られたのか?…読者の中にはそれがずっと気になっていた人もいるはずだ。このサイトではそのことを、ずっと、ことさら避けるかのように触れないようにしてきた。あえてその問題を避けてきた。だが、別にほったらかしにしてきた訳ではなかった。

 このサイトを始める直前、つまり、このサイトの前に運営していたサイト「パルマガ」の最終更新の挨拶テキストで、私はこう書いた。

少なくとも私は新サイトを始めます。その名も「プロジェクト・パーム」。この幻の本を世に公開することを目指すサイトです。どんな内容になるかは未定。とにかく、その本の出版を目指して頑張るつもり。どう頑張るかも未定。未定だらけのサイトなのが玉に瑕だ。

 もちろん私は片時もそのことを忘れたことがない。何と言っても、サイトのタイトルが「Project Palm」なのである。毎日そのサイト名を見るたびに思い出していたと言っても過言ではない。まさに「臥薪嘗胆」の気持ちだった。

 ではなぜ、サイトの開始以来50日近くが経とうというのに、このサイトでは一言もその問題について触れなかったかというと、ちょうどまさにそのタイミングで、問題の書籍の編集者(この書籍に関しては、フリーランスの立場にいある人です!)が、出版のための最後の模索を続けてくれていたからだ。その邪魔をしたくないと思ったので、サイトではいっさいそのことを触れなかった。

 ところが、今日ついにそのことに触れた。なぜか?

 そう、そのことに触れないことには、これからお話しすることの内容に触れることが出来ないからだ。では、今回のメインテーマとは何か?ぶっちゃけて言う。以下はSOSだ。うん?…話が急ぎすぎている?確かにそうかもしれない。そこで、この続きは次回に!


つづく

2004-10-18 | Project Palm 直接リンク | コメント (0)