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2004/10/18

Project Palm大作戦 その3

 という訳で、前回の続きだ。

PPP

 2001年夏から2002年春に向けて私は、「プロジェクト・パーム」(当時は別のタイトルを考えていた!)の執筆作業を必死で続けていた。なぜなら、その本の最初の出版予定が2002年春だったからだ。当時「プロジェクト・パーム」はすでに予想外の大作へと成長しつつあった。当時の原稿を見ると、この時点で初稿はプレーンなテキストであるにも関わらず836KBのサイズを費やしていた。これをベースに改訂作業を始めて第二稿を書くためには、第一稿と同じくらいの労力が必要なことが簡単に想像できた。そこで、出版計画は当初の2002年春から大幅に遅れることになった。

 しかも、そんな頃、もう一冊の本である「シンプリー・パーム」の最初の日本語訳テキストの第一稿が次々と仕上がって、私のところに送られてくるようになった。ちょうど2002年の4月末のことだ。これを受けて、訳者のもとからメールで章ごとに送られてくる「シンプリー・パーム」日本語訳の基礎テキストにひとつひとつ手を入れる作業を開始した。一章ごとに作業を進め、全24章の監修作業が終わったのは8月1日のことだった。以降、8月中旬まで同書の関連作業(年表などの整理)を進めた。この「シンプリー・パーム」が出版されたのは2002年10月26日のこと。以降、短期間ではあったが同書は各種ネット書籍ランキングなどで1位やそれに近い順位でランクインするという、小振りながらも幸せなセールスを体験した。

 ところが、ある意味「シンプリー・パーム」は、最後の徒花のような存在になった。アメリカで原書が出た時はともかく、日本で「シンプリー・パーム」が出た時点でもすでに、国内の出版業界では「PalmOS絡みの書籍で、しかも実用書じゃないなんて、売れる訳がない!」という空気が出版界には満ちていた。出版界のみならず、2002年秋と言えば、2001年春から始まったPDAバブル崩壊がすっかり定着しようとしていた時期だった。2001年8月にはすでにハンドスプリング社が日本支社の規模縮小を発表、2002年2月にはIBMが、9月には本家とも言うべきパームコンピューティング社までが日本からの大規模撤退を発表。その中、出版が遅れていた「プロジェクト・パーム」の未来に赤信号が灯り始めていた。

 そこで、「プロジェクト・パーム」を出版するために熱烈なバックアップを続けてくれていた編集者を中心とするチームは、PalmOS関連の書物に関してどんどん冷め始めていた出版社社内の空気を好転させるべく、ひとつの計画を立ち上げた。それが、雑誌「PalmMagazine」の付録に「プロジェクト・パーム」のごく一部をオマケとして同梱する作戦だった。そして2002年秋、「PalmMagazine Vol.15」の付録として、「プロジェクト・パーム」の一部(山田達司さんがJ-OS開発を始めた最初の時期の話)を載せた冊子をつけた。これは大成功だった。これを出したことで、読者から「続きを読みたい!」という熱いリクエストが出版社にも届くようになった。出版予定は翌夏、つまり2003年夏だ。このページにも「来夏予定」という言葉を加えた。


つづく

2004-10-18 | Project Palm 直接リンク

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