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2004/10/19
Project Palm大作戦 その4
という訳で、前回の続きだ。
そして再び執筆作業が開始した。おもな作業は二つ。ひとつは完成稿に向けて新しい体裁に作品全体をリメークすることだった。第一稿ではいわゆる大河物語のように、すべての歴史的事件が同時進行で進んでいく形をとっていたのだが、これはダイナミックであると同時に、問題点としてどうしてもそこには時系列の複雑さが生まれた。そこで、編集者からの提案もあって、PalmOSに関する物語を、数名の人物の人物伝として書き直すことにした。こうすることで読者は、時系列の伏魔殿を快適に進めるようになるはずだ。
そして、もうひとつの改訂作業の柱となったのは「時代への対応」だった。つまり、第一稿が完成してからすでに1年近い歳月が経過していたため、その間にPalmOSの歴史もかなりの勢いで変化していた。そういった要素を追加して書き加える必要があった。新たな資料を集めながらの作業は、これが意外と大変な作業となった。執筆作業の山場は2003年春から夏の時期だった。あらゆる時間を惜しんで執筆作業を続けたのだが、当時の私は、かつて第一稿を書いていた時よりもハードなスケジュールで動いており、執筆作業は遅れに遅れた。さらに、いくつかの事情を考慮した上で、私は出版目標を当初の予定より3ヶ月ほど遅らせて、2003年秋まで延期した。
この延期のおかげで、ひとつだけ嬉しいことがあった。そもそも、2002年春に完成した第一稿では、PDAバブルの崩壊を受けたJeff Hawkinsたちが、社運を賭けた次なるプロジェクトとしてPalmOS搭載のスマートフォン「Treo」を発売開始するところで終わっていた。そして今回、第二稿を書くにあたっての悩みのひとつはラストシーンをどうするのか?ということだった。しかし、今回の延期によって、見事な、あまりにも見事なラストシーンが勝手に向こうからやって来てくれた。
つまり、2003年6月、PalmOSの歴史を大きく変える衝撃的な事件が起こった。そう、長らくその歴史を複雑にねじ曲げてきた矛盾、つまり、1998年7月以来、離ればなれになっていたPalm社とHandspring社という二つの企業が5年ぶりに合併、ひとつになることが発表されたのだ。こうして誕生する新会社palmOne社の誕生は2003年秋だという。それはまさに、延期されたばかりの「プロジェクト・パーム」の出版予定タイミングと一致していた。今回の延期によって、長いPalmOS歴史物語にとって最高のクライマックスが向こうからやって来てくれたのだ。そして私は、2003年秋の出版を目指して、再び狂ったようにキーボードを叩き始めた。
そして秋が来た。様々な改訂を加え、追加原稿を加えた結果、テキストデータで総計1001KBを越えた原稿が完成した。「プロジェクト・パーム(第二稿)」の完成だ。そして出版!…という予定だった。ところが、残念ながら時代はそんなに甘くなかった。執筆を思いついた2年前には、出版社もあっさりと出版許可をくれたこの本だったが、執筆等が大幅に遅れた結果、その間に時代は大きく変わってしまった。そうして、出版社の方針もまた変わってしまった。その結果、この本を当初予定していた出版社から出版することが出来なくなってしまった。
↑ 上の年表はPalm社〜palmOne社の株価(折れ線グラフ)をベースに、歴史的事項を書き込んだもの。
まだ覚えている人もいるかもしれないが、2003年の秋、私の前身サイトである「パルマガ」には目新しいリンクが登場し、そこをクリックすると不思議なページへと読者を誘導するようになっていた。そこにはこんな写真が掲載されていた。これは棟上げ式の写真だ。そう、このままこのページの写真は「棟上げ式」から「基礎工事」「工事」と進んで、最終的に「プロジェクト・パーム」出版を発表する予定のティザー広告だった。しかし、2003年晩秋、このページは突然、消えた。そう、すべての計画はいったんリセットされてしまったのだ。
2004-10-19 | Project Palm 直接リンク