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2004/10/18

Project Palm大作戦 その2

 という訳で、前回の続きだ。

PPP

 まずは、少し話を戻して、概要から説明を始めようと思う。なぜなら、この問題について語るのは、本当に久しぶりだから。

 最小限に話を戻すなら、このページから始めるのが好都合だ。

■PP予告編(パルマガ)

「シンプリー・パーム」から2ヶ月、
新たな伝説の書が動き出す!
Coming Soon!
正式公開は来夏予定!

参照●シンプリー・パーム(パルマガ)

 ここに、来夏とあるのは実は2003年夏の予定だった。そういうつもりで告知を打った。だが、現在2004年夏がすっかり終わったというのに、「プロジェクト・パーム」という本は出版されていない。どういうことなのか?それが今回のメインテーマである。出版したかったのに出版できなかった本がある。その本を何とか出版したいという目的でこのサイトは作られ、そして今この文章は書かれている。

 さて、そもそも「プロジェクト・パーム」とは何なのか?

 話は2001年の春にまで遡る。今から3年以上も前の話だ。当時私はある一冊の本の出版を思いつき、とある編集者にアイデアを打ち明けたところ話は途端に盛り上がり、とある出版社からの発刊も決まり、さっそく私はその取材と執筆に取りかかり始めた。2001年夏のことだ。その頃の点描がコレ。この夏、二度ほどシリコンバレーに飛んだ。国内でも当事者に会っての取材を続けた。またネット上の資料を片っ端から集めては日本語に訳したりもしていた。

 2001年は9.11米国同時テロの年として記憶されていると思う。私自身も二度目の渡米の一ヶ月後にこの事件に遭遇して青ざめたものだが、この書籍のプロジェクトのためにはもっと困った事件が起こったのも、この2001年だった。同年春、新型機種の発表の遅れに端を発したPalm社の財政危機は、同年夏に倒産に近い状態まで陥っていた。もっとマクロな視点で語るなら、最後発のIT産業として20世紀末に驚異的な成長ぶりを見せたハンドヘルド産業にもついに世間並みの不況の波が襲いかかってきた。それまでの成長ぶりがあまりにも凄まじかったために、そこからの転落ぶりは凄まじかった。誰もが羨む急成長産業はわずか数週間で、その辺のごくごく普通のIT産業並みにの水準まで落ち込んだ。

 ちょうど私が渡米した頃が、その最初の波が押し寄せている真っ最中だった。その冬に購入したばかりだったPalm社の新社屋ビルを建てる予定の空き地に誇らしげに経っていたPalm社の看板が取り外され、Palm社の玄関では今まさに荷物をまとめて退社していく女性社員の捨てぜりふを聞いた。唯一の例外がHandspring社の社内だった。この会社もPalm社旧転落の影響を受けて当時大変な状況にあったのだが、社内の空気は決して悪くはなかった。なぜならちょうど、同社の未来を決定する商品が発売されようとしていたからだ。まさにその前夜だった。その製品とは「Treo」シリーズ!まさにその後の歴史が証明することになるのだが、Handspring社は世間の空気をPalm社よりも知っていたのだ。

 という訳で、2001年の春には関係者の間で「この本は絶対に売れますよね!」という空気だったのだが、2001年秋になると「この本、大丈夫?」という空気になっていた。それでも私はまだ悲観などしていなかった。ちょうどその頃私は、もう一冊の本に携わることになった。それが「シンプリー・パーム」だった。2001年秋、ソフトバンク社の編集者から「米国で発売されたとある書籍」の日本語版を出したい。ついてはその監修をお願いしたいという話を貰った。その書籍は「米国におけるPalmOSをめぐる歴史」を扱っている。「米国と日本のPalmOSを巡る歴史」を扱うつもりだった「プロジェクト・パーム」と似通っていることは問題だったが、そんなことよりもPalmOSに関する書籍がまだまだ出版されようとしているという空気だけでも悪くなかった。


つづく

2004-10-18 | Project Palm 直接リンク

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